橘湾海上に浮かぶ牧島の東部、嘴状(しじょう)礫(れき)丘(きゅう)に位置する古墳時代後期の積石塚群である。
昭和52年(1977)に調査が行われ、99基の積石塚と不明の遺構約500ヶ所が確認された。重点調査が行われた3号墳からはガラス製小玉17点、碧玉製管(へきぎょくせいくだ)玉(たま)1点の出土があり、4号墳積石下に土師器(はじき)や須恵器の高坏(たかつき)、甕(かめ)、壺類の発見があった。積石塚の石室構造は竪穴式及び竪穴式の特長をとどめた竪穴系横口式石室で、北部九州に分布する同種の石室構造をもつ古墳群から5世紀末から7世紀頃の時期が考えられ、この地域が北部九州の文化圏に属していたことが判明した。その後の調査により平成28年度末現在、101基の積石塚が確認されている。
全国に数少ない積石塚として重要であるばかりでなく、礫洲上にあって画然とした墓域が示され、牧島東部にある同時期の集落との対応関係も考えられて古墳時代後期の群集墳のあり方を理解するうえでも貴重なものである。
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