中国江西省出身の劉(りゅう)覚(かく)(のち真(しん)円(えん))が元和9年(1623)のころ渡来、当地に小庵を結び、南京地方出身唐商が中心となり、真円を開基とする一寺を創立したのが当寺である。寛永9年(1632)渡来した唐僧黙(もく)子(す)如(にょ)定(じょう)が2代住持となり寺観大いに整い、承応3年(1654)唐僧隠(いん)元(げん)隆(りゅう)琦(き)を迎え、更に外堂・山門等が整った。大雄宝殿は元禄2年(1689)再建のものが、慶応元年(1865)暴風で大破したため解体、明治16年(1883)再建されたのが現在の建物である。中国で切組み唐匠が渡来して建立した。強い曲線の隅(すみ)棟(むね)の反り、巧緻な彫刻・氷(ひょう)裂(れつ)式(しき)組(くみ)子(こ)の丸窓等、純中国建築様式をもつ貴重な遺構である。
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