上階に梵鐘を吊り太鼓を置く。崇福寺の鐘楼はもと重層六角円堂で、書院前庭の南隅にあった。現在の鐘鼓楼位置には、当時は大釜を置くだけであったから媽(ま)姐(そ)堂・媽姐門と在港唐船とは相互に望見することができた。これは重要なことで、鐘鼓楼前一対の刹(せっ)竿(かん)石(旗竿石)がそれを示している。享保13年(1728)ここに重層のこの建物が建って、展望は阻害されるに至った。この鐘鼓楼の軸部は明らかに唐工匠の製作と推定されるが、屋根回りは日本的意匠で、棟札に「木匠頭荒木治右衛門」と明記してあるから、護法堂と同じく日中工匠の合作と考えられる。上層下層の比例に安定感があり重厚で、円(まる)窓(まど)・華(か)頭(とう)窓(まど)・白壁などの取り合わせも美しい。柱上部藤(とう)巻(まき)・挿(さし)肘(ひじ)木(き)・鼻(はな)隠(かくし)板(いた)など他と共通する特徴があり、軒裏軒下を除き、雨がかり部の朱丹塗りも他に同じである。
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