創建年代は扁(へん)額(がく)により寛永21年(12月改元正保、1644)ごろと推定されるが現存遺構は元禄7年(1694)唐土寧(にん)波(ぽー)で切組み、翌年春唐船数隻に分載舶来し建立は元禄9年以降という宮田安説が定説となった。当初はここが山門であったが、延宝元年(1673)この下段西向きに、新たに三門が建立されて、ここは二の門となった。別名は唐(から)門(もん)・海天門・中門など。第一峰と海天の名称は扁額の文字による。軒下の構造組物に特徴があり、四(よ)手(て)先(さき)三(さん)葉(よう)栱(きょう)と呼ばれる複雑巧緻なものである。垂木を平に使った二(ふた)軒(のき)の扇(おうぎ)垂(だる)木(き)・鼻(はな)隠(かくし)板(いた)・挿(さし)肘(ひじ)木(き)・柱上部の藤(とう)巻(まき)等は寺内他の建物にも見られる。これは華南地方に多く行われる特徴であろう。軒下軒裏には極彩色の吉祥模様を画くが、雨がかりの部分は朱丹一色というのは合理的である。唐土切組み唐工匠の手になる貴重な遺構である。
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