釈迦(大雄)を本尊とする仏殿。内部前柱刻銘により正保3年(1646)上梁の建築と考えられ、長崎市で現存最古の建物。当初は単層屋根であった。上層屋根が付加された時期は延宝9年(9月改元天和、1681)ごろという宮田安説が定説となっている。下層部意匠構造は和様寺院には見られないものが多く、前面吹放し廊下のアーチ型天井は「前巻」が正式名称というが、俗に黄(おう)檗(ばく)天井と呼ばれている。また軒回りの逆(ぎゃく)擬(ぎ)宝(ぼ)珠(し)を付けた釣(つり)束(づか)型持ち送りは「虚(きょ)柱(ばしら)」という。すべて唐土で切組み舶載建立されたと思われる。上層付加部は明暦元年(1655)建立の福済寺大雄宝殿(原爆焼失)の意匠に倣(なら)った、日本人工匠の手になるものであるが、上下に様式的な違和感がない。殿内外の意匠その他は黄檗宗寺院の原典となっていて、国宝の名に値している。
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