長崎県ホームページ


ここからこのページの情報です。

パンくずリスト(現在位置の表示)

長崎県文化財データベース エリアでさがす

ファイル 旧円融寺庭園

斜面を利用した江戸初期様式の枯山水庭園
旧円融寺庭園
名勝(国指定) 
よみがなきゅうえんゆうじていえん
指定年月日昭和51年(1976)12月27日
所在地大村市玖島2丁目505
管理・保護団体大村市
最寄り駅県営バス裁判所前 徒歩5分

 天台宗円融寺は、承応元年(1652)大村藩4代藩主純長が創建。純長は3代藩主大村純信の養子となった。まもなく、純信は若くして亡くなったため、大村藩は後継者を決めていなかったが、将軍家光の裁可によって純長への相続が許された。大村藩はこの恩義に報いるため特に願い出て、徳川家の位牌を祭った。
 円融寺は、明治元年廃寺となり、その跡地に戊辰の役の戦没者が祀られ、その後護国神社となった。円融寺の庭園は樹木に覆われ、一時目にすることは出来なくなっていたが、昭和44年に発見され、整備が行われ現在に至っている。庭園は寺域南限の山畔中央の高所に巨石を据えて三尊石を組み、これを中心として高さ8m、幅50mの斜面全般に400余個の自然石を立て、地形の起伏に従って作り出した枯滝、枯流等によって、これらの石組みの配置を抑揚豊かなものに構成している。
 左手に七段からなる枯滝を作り、その水落石には白色の石灰岩を用いるなど、全体としてその意匠は華麗で、かつ創意にあふれ、江戸時代初期作庭の特色を見ることができる。


大きな地図で見る

ここまでがこのページの情報です。
ページの先頭へ

現在、スタイルシートが適用されていないため、 画面上のデザインは再現されていません。 スタイルシートに互換性のあるモダンブラウザのご利用をおすすめいたします。
ページの先頭へ