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長崎文化百選 事始め編
まなぶ

ソロバンドック


日本最初の洋式近代的ドックで国指定史跡の小菅修船場跡=長崎市小菅町=

日本で最初の洋式近代的ドック
 ソロバンドックの名で親しまれる小菅修船場跡は長崎市小菅町にある。船を引き揚げる滑り台がソロバン状に見えたため、こんなニックネームが付いた。日本最初の洋式近代的ドックとして国指定史跡になっている。
 幕末、長崎の外国系商社を介して買い入れた洋船は、中国海域で使われていた中古船が多かったために故障が絶えなかった。修船場を望む声は国内外の船主、船員の間に高まり、英商トーマス・グラバーは慶応2年(1866)、友人の薩摩藩士5代才助、小松帯刀とともに、小菅に修船場を造る計画を練った。
 小さな入り江の緩やかな傾斜を利用して、船を引き揚げるスリップウエー(船台)式のドックを造ることにした。満潮時に船を滑り台に乗せウインチで引き揚げるものである。
 小菅修船場は明治元年(1868)12月完成。翌2年、明治新政府はグラバー管理のこのドックを12万ドルで買収、長崎製鉄所の付属とした。製鉄所とドックの所長に24歳の平野富二が就任した。この所長当時、立神ドック建造に資金のめどがつき、彼はその建造を建言。平野案は政府に支持されて、立神ドックは明治7年起工し12年に完成した。
 それまでドックは、小菅だけである。西南戦争があった明治9年度(会計年度)には修理船は11隻を数えた。また新船も建造した。立神ドックができてからは、500トンぐらいまでの船舶はそれまで通り小菅で引き受け、それ以上の内外国船は立神ドックを使うようになった。修船場は明治20年に三菱の所有となる。
 25馬力の巻き揚げ蒸気機関はイギリス製で創立当時のもの。また、巻き揚げ機小屋には「こんにゃく煉瓦」が使われており、我が国に現存する最古の煉瓦造り建築と見られている。


事始めメモ ●平野富二
「活版印刷、製鉄、造船、航海、新聞編集と、およそ平野富二ほど幕末長崎の先覚者中でも間口の広い人はない。父母に早く死に別れ、文久元年(1861)独力で蒸気機関の取り扱いに成功し、長崎製鉄所の機関手見習いとして、本木昌造に師事したのがよかった。本木は平野の手八丁、口八丁の実行力を買って、大役のチャーチル号機関手としたが、慶応2年(1866)の下関の戦争では回天鑑を乗り回して殊勲を立てた。(中略)明治4年以来は東京で本木活字の大量生産を始め、太政官、左院等の役所の大量布達に、これを安価で売りつけて、本木活字の声価を高めた。これが後年の築地活版所である。(長崎新聞創刊90周年記念特集「ふるさと先人群」から=松浦直治執筆=)

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