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●平野富二
「活版印刷、製鉄、造船、航海、新聞編集と、およそ平野富二ほど幕末長崎の先覚者中でも間口の広い人はない。父母に早く死に別れ、文久元年(1861)独力で蒸気機関の取り扱いに成功し、長崎製鉄所の機関手見習いとして、本木昌造に師事したのがよかった。本木は平野の手八丁、口八丁の実行力を買って、大役のチャーチル号機関手としたが、慶応2年(1866)の下関の戦争では回天鑑を乗り回して殊勲を立てた。(中略)明治4年以来は東京で本木活字の大量生産を始め、太政官、左院等の役所の大量布達に、これを安価で売りつけて、本木活字の声価を高めた。これが後年の築地活版所である。(長崎新聞創刊90周年記念特集「ふるさと先人群」から=松浦直治執筆=) |