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●貴重な遺構
「文久3年(1863)頃の敷地の用途が記載されている“LIST
OF FOREIGN HONGS AND RESIDENTS”によると、その当時十二番館が建つ敷地(東山手十二番)はプロシア領事館として使われている。/その建築が現存する十二番館であった確証はないが、明治4年(1871)5月16日付の“The
Far East”に、十二番館の写真が掲載されていることから、少なくとも明治四年には存在していたことが分かる。(中略)港に向かって建ち、眺望を重視した配置計画である。平面形式は中廊下型で、その廊下は他の住宅より幅が広い(3,017mm)。その廊下の左右に執務室として使ったと思われる3つの広い居室(48.9平方メートル)を配し、北東の一角には、3つの小室を配している。(中略)ベランダは正面と側面に設けられ、幅も広く(正面3,260mm、側面2,942mm)、長崎居留地における初期洋風住宅の特徴を示す貴重な遺構である」(長崎市教委「長崎居留地−大いなる遺産」から)
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