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長崎文化百選 事始め編
まなぶ

東山手十二番館


プロシア領事館として建てられたといい、わが国の領事館建築では最も古いとされる東山手12番館=長崎市東山手町=

わが国で最も古い領事館建築
 バタビアにいたドイツ人(プロシヤ人)ルイス・クニフラーは、安政6年(1859)の初め長崎に来て、オランダの保護のもと、7月に日本最初のドイツ商社L・クニフラー商会を設立した。この年の通商開始の際に6社だったドイツ商社は、やがて9社、10社となり、ギュッチョウ商会、グレッサー商会、リンダウ商会、シュネーベル商会…などが活動した。
 これらの商社は、次第に横浜に力点を移していくが、クニフラーは万延元年(1860)長崎のプロシヤ副領事に、その5年後には名誉領事になっている。港を見下ろす東山手の丘にプロシヤ領事館が建てられたのは明治元年(1868)といわれている。いまの「東山手十二番館」の建物がそれで、大浦・東山手地区に現存する洋館群のなかでは最も古く、しかも領事館建築としては、全国的に見てこれほど早期のものは他に例がないという。
 建物は木造平屋、寄棟造り、桟瓦葺き。基本形式としては、初期洋風住宅の容姿を示すが、規模が大きく、全体にゆったりした間取りで、付属屋内にもマントルピースを置くなど領事館建築の特徴が見られる。ベランダは正面と側面に設けられ、幅も広いという。
 のちにアメリカ領事館やアメリカのメソジスト派(婦人外国伝道教会)の宣教師などの住宅として使われた。昭和16年(1941)活水学院に譲渡されたが、51年、建物は学院から市に寄贈された。県指定有形文化財。
 平成8年(1996)10月には、3年がかりの修復・復元工事を終えて一般開放されるようになり、新たな観光スポットとなった。内部は「長崎市旧居留地私学歴史資料館」になっており、宣教師らによって創設されたさまざまな私学の歴史資料館が展示されている。


事始めメモ

●貴重な遺構
「文久3年(1863)頃の敷地の用途が記載されている“LIST OF FOREIGN HONGS AND RESIDENTS”によると、その当時十二番館が建つ敷地(東山手十二番)はプロシア領事館として使われている。/その建築が現存する十二番館であった確証はないが、明治4年(1871)5月16日付の“The Far East”に、十二番館の写真が掲載されていることから、少なくとも明治四年には存在していたことが分かる。(中略)港に向かって建ち、眺望を重視した配置計画である。平面形式は中廊下型で、その廊下は他の住宅より幅が広い(3,017mm)。その廊下の左右に執務室として使ったと思われる3つの広い居室(48.9平方メートル)を配し、北東の一角には、3つの小室を配している。(中略)ベランダは正面と側面に設けられ、幅も広く(正面3,260mm、側面2,942mm)、長崎居留地における初期洋風住宅の特徴を示す貴重な遺構である」(長崎市教委「長崎居留地−大いなる遺産」から)


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