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長崎文化百選 事始め編
まなぶ

ボウリング



▲1861年長崎で初めて投球された日本最古の木製ボール
お年寄りも子供も気軽に楽しめるようになった現代のボウリング=長崎県愛宕4丁目、長崎スポーツセンター=


居留地に暮らす外国人の社交場
 長崎・大浦の居留地では、かれこれ140年も前に、外国人がボウリングを楽しんでいた。わが国で初めてボウリング場ができ、ボウリングが始まったのは長崎である。
 長崎シッピング・リスト&アドバタイザーという1861年(文久元)の英字新聞に、ボウリング場の広告がある。インターナショナル・ボウリング・サロンが広馬場ストリートにオープンしました、最高級ワインなど酒いろいろを格安で提供しますという、ヘンリー・ギブソン名の広告。オランダ通り商店街から弁天橋の電車通りに出る右角辺りがその跡になる。
 日本ボウリング場協会はこの広告の日付、6月22日をボウリングの日と定め、居留地の一角の松が枝町に平成2年(1990)「わが国ボウリング発祥の地」の碑を建てた。
 そのころのボウルは大・中・小の3種類があり、ピンの数は9本。いまのような指穴はなく、抱えるようにして投げた。レーンの長さも今の3分の2ぐらい。ボウルを転がすと、ピンボーイが倒れたピンを起こして元の位置に並べ、ボウルを運んで返却したという。
 日本人がボウリングを始めるのは大正時代に入ってから。初めてのボウリング場が東京・青山にできたのは昭和27年(1952)である。長崎県内では37年1月、佐世保にボウリング場がオープンしたのが最初という。翌38年には長崎市栄町にもできた。ボウリングの最盛期には51年といわれている。
 長崎市内のあるボウリング場の最近のチラシ広告には「子供だって高スコア! ガーターがなくなった」とある。シューズとボウルも小さいサイズをそろえ「幼稚園児、小学生でも楽しめる」という。また親子ボウリング大会は2ゲーム1,000円という料金(1親子ペア)である。


事始めメモ ●外国人のためのボウリング場
長崎新聞昭和47年(1972)4月7日夕刊に「100年前すでにボウリング場」の記事があり、山田武治という当時72歳の人が、香港上海銀行のすぐ裏にあった「長崎ボウリングクラブ」でピンボーイをしていた中学生時代の思い出を語っている。そこには2レーン設置され、当時もゴロゴロと大きな音を立てていて通行人がよくのぞき込んでいた。ピンボーイ(1レーンに2人ずついた)は約5年間していた。ひいき客のときはピンを中央寄りに立ててやったりした。ちょっとの差でストライクになるものだから喜ばれたそうである。/また浜崎国男「長崎異人街誌」には、現在のグラバー園への上り坂の右側にシーメンス・ホームという海員クラブがあり、ここにかなりのレーンを備えていたボウリング場があったことが記されている。この跡地にも標注がある。

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