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孔子廟 |
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▲セミナリヨ跡の説明板 |
| ▲釈奠(せきてん)の日の孔子廟大成殿
=長崎市大浦町=(撮影・團龍美氏) (上は明治26年、清国政府によって建てられた旧孔子廟) |
純中国式の建築 華僑学校も併設
孔子の霊をまつる聖廟は、湯島や多久にも造られているが、純中国式建築の聖廟となると、長崎の孔子廟だけである。それはまた、日本ではただ1つ、中国政府(清朝)が造った聖廟でもある。さらに付け加えれば、華僑学校を併設した文廟も長崎だけであった。
唐船とオランダ船だけが長崎に限って入港できた約220間、長崎は独占的に中国と結びついていた。「安政開港で長崎の独占がくずれ横浜、神戸に華商が移動したが、清国政府が海外華僑のために聖廟を造ったとき、大浦居留地を選んだのは、長崎の歴史を尊重したのではなかろうか」(宮田安)ともみられる。
孔子廟が明治26年(1893)に建てられたことは、「光緒癸巳年建」の棟礼からわかる。孔子の像をまつる大成殿、その父をはじめ祖五世をまつる崇聖殿のほか、表門、石門、会殿などがある。「丹碧相映ずる孔子廟は日本稀有の建物なり」という中国式大建築が大浦居留地の真ん中に出現したのである。
明治38年(1905)春、孔子廟内に、清国の駐長崎領事の提唱によって長崎華僑時中小学校が創立された。我們学校在聖廟(我らの学校は聖廟に在り)と校歌にもある通り、廟の中に別棟を設けた学校。時中とは、「時に随い変に処してその宣しきにかなう」の意である。卒業写真は大成殿前で撮るのが常であった。この小学校はいま休校し中国語学校になっている。
孔子廟は、創建90周年の昭和42年(1967)に大修復工事が行われ、今のようにカラフルな建物としてよみがえった。ルリ瓦75,000枚を使った屋根は特に見事である。中国政府の日本における唯一の常設博物館として「中国歴代博物館」もできた。中国文化の精髄を見せて人気の観光スポットの一つになっている。

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●釈奠
孔子をまつる典礼。長崎の孔子廟では毎年九月下旬に行っている。昭和61年(1986)この典礼を再興するにあたって、長崎の華僑は孔子の生地曲阜の孔子廟を訪れ、詳しく学習し、典礼の式服や大傘、大扇、提灯、香炉、刀など一切を中国から取り寄せたうえ、古式に則って本格的再現を図った。/孔子像祭壇には、もと長崎聖堂にまつられていた像も特別に安置され、主宰の正献官には孔子廟代表や官民代表6人が扮する。廟の前には子牛、子豚、子羊1頭ずつがいけにえとして供えられ、大太鼓の音に合わせて行列し、線香を上げ、3回の献酒を行い拝礼する。 |
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