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唐人屋敷 |
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▲旧唐人屋敷内の館内市場と土神堂
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元禄から幕末まで中国商人の居住地
唐船とオランダ船の来航を長崎一港に定めて以来、日本と中国の関係は深まり、唐人は市内に雑居していたので長崎人と親しい関係にあった。しかしやがて出島のように、市中に散在する中国人が十善寺に集められ、元禄2年から幕末に至るまで中国人商人の居住地にあてられたのが唐人屋敷である。長崎入港の唐人船は多いときには年間200隻にも及んだという。中国貿易による港の繁栄とともに唐人屋敷は存在したのである。
日本の制度文物は中国に学ぶところが多い。長崎では、唐人貿易がもとで箇所銀や竃(かまど)銀の制度が出来たりした。生活文化の影響では、おくんち行事の龍踊り、中国盆、円卓で行うしっぽく料理は現在よく知られている。
唐人屋敷の広さは、9,300坪余り。約半世紀早く出来た出島は3,900坪余りなので、比較するとその収容力はまさるものがある。内外の門を2つ設けて取締りされていて、大門とニノ門の間に乙名部屋、通事部屋、土蔵などがあり、ニノ門の内に中国人が生活する唐人部屋が20余りと商店が100余り、また、土神堂、天后堂、観音堂、涼所などもあった。門前は波止場になっていた。唐人屋敷への出入りは定められた役人の他は特例以外は許されなっかた。
明治に入って中国人達は新地に移り住み、新しい町づくりを行った。唐人屋敷は古いルーツを残している。見学に行くと、ランタンフェスティバルの会場にもなっていて、中国提灯や架空動物の張り物が飾られて賑やかである。唐人屋敷の入口あたりは、座売りのおばさん達や館内市場の売り声で賑わう。3ヵ所の中国のお堂とレンガ造りの福建会館が点在したり、屋敷を境する水路や石橋が顔を見せ、唐人屋敷のたたずまいを感じさせている。

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●唐人貿易
唐人屋敷に入った唐人たちは、船頭、財副、総管らの幹部は2階の唐人部屋に、その他の人々は1階の部屋にそれぞれ落ち着く。それからいよいよ館内生活がはじまるのである。その間、最も重要な仕事は舶載商品の交易取引である。それが無事済んで日本からの輸出品も決まると、最初に出港する船を繋船場から挽き出して港の中に浮かばせる。そして唐寺に預けた菩薩を受け取って船中に安置し、また宿町、付町によって銅や俵物などの貨物の船積みが始まる。これらすべての予定作業が順調に進むと、3、4ヶ月か、長くとも5、6ヶ月以内には出航帰帆ができるのが普通である。(山脇悌二郎「長崎の唐人貿易」) |
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