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まなぶ

38 「諌早菖蒲日記」
野呂邦暢(のろくにのぶ) −諌早市−



諌早市上山公園北口にある野呂邦暢文学碑前での菖蒲忌(5月7日)

野呂さんが住み「諌早菖蒲日記」を書いた仲沖町の荒川宅跡

少女の駆けた町
 「私がいま住んでいる家は、本書の主人公藤原作平太の娘志津がくらしていた家である。明治38年に建てかえられたのであるが、屋敷のうちそとには昔人の面影がのこっている……」野呂邦暢「諌早菖蒲日記」のあとがきに記されていることばである。
 諌早市仲沖の荒川邸に住んだ作者が、同じ棟に住む家主さんの土蔵にしまわれていた古文書(砲術書・諌早藩鉄砲方の侍たちが、秘密を守る誓いをした血判の誓紙など)に基づき、フィクションを混じえて書いたものがこの作品である。諌早藩の安政2年(1855)春から、年末に至る半年あまりの出来事が、藩の砲術指南の武士の一人娘で、当時15歳になる志津の日記という形をとって記されている。
 語られていることは、外国軍船の長崎への出入、本明川の大洪水、佐賀鍋島藩士に対し刃傷に及んだ剣道指南役の切腹、父親の役目上の心労と急病などで、いずれも諌早市中心部を舞台としている。語り手が、みずみずしい感受性を持つ、左腕に種痘のあとがある、利発な少女であるだけに、幕末の地方の小藩に起った重くるしく暗い事件も、読み進んでいくうちに、さわやかな、すがすがしい印象をもたらす。
 志津の屋敷の近くには本明川の舟着き場があり、有明海を渡って佐賀の厘外津(りんげつ)と舟が行き来していた。現在、仲沖番所跡の石碑が堤防の上に立てられ、「鯨供養塔」と書かれた古い石碑もある。菖蒲日記の中で三間あまりの背美(せみ)鯨を漁師達が仕止める場面を思い出させる。
 荒川邸は、現在はとり払われている。屋敷の裏手にあり、毎年花を咲かせていた凛凛しい諌早菖蒲の群落も今はない。
(古川和義)




うた・文学散歩メモ 野呂邦暢(昭和12〜昭和55)
昭和31年諌早高校卒。昭和49年「草のつるぎ」にて芥川賞受賞。肥前の城下町諌早を愛し、「僕の住む地の生霊が語りかけるまゝに書き続けるのだ。」……諌早を舞台にした小説・随筆を数多く残した。
 仲沖町へは、県営バス東厚生町行き、諌早郵便局前下車。倉屋敷川沿いに散策路があり、10分。市中心部から高城公園周辺は、すべてこの作品の舞台である。

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